1999年04月(中旬)

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1999年4月11日()

UNIX User のオマケの FreeBSD 3.1-RELEASE をインストール. 予備知識はとりあえず無しの状態です.

CD が bootable らしいので,そのまま CD ドライブに突っ込んでブートさせる.

最初に聞かれたカーネルの設定はとりあえずスキップして自動設定にお任せ. SCSI disk にインストールしようとしてるんだけど,カーネルの起動メッセージ中に SCSI をデバイスどう認識したのかを表示してくれない(表示前に画面が GUI に移行しちゃう)のが気持ち悪い. この辺りは改善の余地ありですかね.

でもどうやら Alt-F2 で起動メッセージを表示できる模様なので,これを使って目的のディスクが da0 であることを確認.

ディスク設定. 初心者なんでインストールモードは Novice installation を選択. さっき確認したインストール先の da0 をごっそり FreeBSD のスライスに割り当てる. ブートマネージャは入れず(しばらくは FD ブートしたいなあ).

初心者なのでパーティションも自動設定……と思ったが swap に 261MB も割り当てるなー! SunOS 4 みたいに swap はメモリの 2 倍なんてこともないと思うし,サーバに使うわけでもないので swap は 64M に設定. で,現在の b と f を潰して a=32MB, b=64MB, e=30MB, f=909MB と切り直そうとしたら,/usr のところで 「Unable to create the partition. Too big?」とのこと. 何でだー?

じゃあ自動設定に戻すか…と思って A を押しても,To big? を言われる. 仕方ないので,とりあえず前のメニューからやり直すために抜けようとしたら signal 11 を食らったとかでインストーラが死亡&リブート(T_T)

最初から出直して再挑戦. 自動設定を選ばずに最初から手動でやれば問題なく「a=32MB, b=64MB, e=30MB, f=909MB」にできた.

Distribution の設定は X-User を選択. DES はここでの扱いがわからないのでとりあえず No(後で見たら CD-ROM に付いていた). Ports は Yes.

Basic には prog を追加. Server は SVGA があればいいのでデフォルトのまま. Font は All を選択. 昔 Slackware を入れたときに Korean font と Japanese font が区別されてないと思ったんだけど,FreeBSD も non-english font は十把ひとからげなのね(^_^;

インストールメディアは当然 CD-ROMを選ぶ.

ファイルのコピーを開始する前に昼飯を買いだしに出る.

出かける前に留守電をチェックしたら CD 屋さんから CD 入荷のお知らせがあった. というわけで,無事 To Heart の SCD もゲット.

TV 放送が明日からという状況での在庫切れはさすがになかった模様(^_^).

帰ってきて昼飯を食べながらインストール実行. BGM は「それぞれの未来」無限ループ. さすがにこの辺りはサクサク終了.

続いてインストーラ内からのシステム設定.

パッケージは真面目に選ぼうとするとやっぱり面倒(昨日の Debian ほどじゃないけど ^_^;). 全部自分で選ぶパターンだと時間がかかるし,どうしても見落としがあるので,個人的には「タイプ別のお勧めデフォルト選択 + 微調整」方式が好みです.

あと,ports だと ja と non-ja が重なってるツールの関係ってどうなってるんでしょ? 上書き?

インストールが一通り終わったのはいいけど,起動フロッピーディスクの作り方が分からん…. インストーラのメニューにはないみたいなんですけど….

仕方無いので(テストじゃやりたくなかったけど)ブートセレクタ(OS-BS)に FreeBSD の項目を追加. さて,やっとブートできる…と思いきや今度は cannot mount root で kernel panic. とほほ.

気を取り直して TROUBLE.TXT で調べてみると,ちゃんとそれらしいことが書いてある. SCSI disk をインストール先にした時点で何か言ってくれればいいのに(そりゃ今の形じゃトラブルになるよなあ)…と思いつつ文書に従って

2:da(0,a)kernel
を指定. しかし「2:da(0,a)kernel not found」のつれないお言葉(T_T). しかも,このエラーは「command not found」的なものらしく,指定がどうという以前の問題らしい….

UNIX User の解説によると,3.1-RELEASE からブートローダが変わっているとかで,どうやらこの辺りが原因か. ううっ.

というわけで,インストーラで閉じた知識では絶対インストールできそうにないことが判明. 仕方ないので,外部の知識を仕入れることにする.

www.jp.freebsd.org の FAQ には古いブートローダ用の答えしか載っていないものの,ML のアーカイブから何とかそれらしいメールを見つける.

でも,その先も結構苦労したのでした. 以下がその記録:

  1. 「set rootdev=disk2s1a」を試す. ダメ.
  2. 「set num_ide_disks=1, set root_disk_unit=2」を試す. ダメ.
  3. 2. だと「changing da2a」しようとして失敗している模様(目的のデバイスは da0a)なので,「set root_disk_unit=0」を試す. ……やっと動いた.

結局,何をどう指定すべきなのかはよく分からなかったです(^_^;; 新しいブートローダの説明がどっかにありませんかねぇ(少なくとも,手動で設定しなきゃならないなら,詳しい説明が配布物の中にあるべきだと思うのですが…).

ともあれ,やっとログインできるように. 次はコマンドラインから XF86Setup を実行. 今度は問題なし. ホスト名等が設定されなかったので(何でだろ?)設定の仕方を rc スクリプトから割り出して手動設定. こんなことやっていいのかなあ. それから 2 枚目の CD からも ports をインストール.

さすがに疲れたので今日はここまで. 普段の /home をマウントするためにはカーネルを再構築して ext2fs をサポートさせなきゃならないんだけど,その元気が出なかった. そもそも,まだやり方さえ知らないんだもん(^_^;;

最後にユーザとしてちょこっとだけ動かしてみる. 気づいたのは GIMP のメニューが変なことくらい(メニューの日本語が表示されていない模様)かな.

というわけで結局,一日がかりのインストールになってしまった.

個人的な感想を言うと,3.1-RELEASE のインストーラ(付属ドキュメントを含めて)はちょっとダメダメだと思う…. (事実誤認があるとか,もう直っているということならご指摘 & ご容赦くださいませ.)

1999年4月12日(月)

最近全然見ない/捕まらない同期のやつにたまたま遭遇. 話を聞くと,土日の休日出勤も含めて15日連続午前様を敢行中らしい.

さすがにそりゃヤバいと思うんだけど….

ヤバいと言えば,僕に(引き継ぎ無しの(T_T))仕事をいろいろ残して自律神経失調で病気休業してしまわれた会社の先輩が今度は休業に突入した. 病休の期限 3 ヵ月をオーバーしたからだそうな.

休業だと給料が出なくなる(大幅割引になる?)ので貯蓄を切り崩しながらやっていくとか. うーん,大変そう….

某 ML の To Heart キャラコン締め切りが近いので忘れないうちに投票. 持ち点 100 は「智子:90, 綾香: 6, セリオ:4」に振り分ける.

うん,なかなか妥当な線ではなかろーか.

やっと愛知でも To Heart の TV 放送が始まる. でも 26:00 開始ってのがちょっとアレ.

もっとも,普段は 27:00 くらいまで起きてるので,この時間でも全然オッケーなんですけど,昨日は 3 時間くらいしか寝てないんで…. というわけで,ビデオの設定をして寝ます.

1999年4月13日(火)

骨折で入院していた同期が復帰.とりあえず今日は会社まで車で送ってやる.

さすがに休業分の給料はマトモにもらえなかったそうだ.

浩之モテモテ日記になったらちとイヤだなあと思いつつ,録画してあった To Heart 第 1 話を見る.

FreeBSD インストールの件について,うちかわさんから色々ご指摘&ご教示のメールをいただく. ありがとうございます(^_^).

ごうさんもどうもです.僕には OpenBSD 方式はたぶんムリでしょうねぇ(^_^;;;

設定の続き. handbook を読みながらカーネルの再構築. とりあえずは ext2fs サポートと余計なドライバの削減が目的です.

まずは /usr/src/sys を CD-ROM からインストール. 適当に設定をいじって再構築. カーネルの設定ファイルを直接編集する方式は結構好き.

コンパイルの間に入浴.

リブートしてから mount -t ext2fs /dev/da1s1 /mnt を試す. 成功.

でもってそのまま fstab まで書き換えたのはいいんですが,/home を共有するにはドットファイルでいろいろ場合分けしなきゃいけないのでした.

1999年4月14日(水)

4月いっぱいで販売実習のため職場を抜けるので,そろそろ引き継ぎを始めたいんですけど,(3人しかいないから)引き継ぐ相手がいないうちのグループって….

3人しかいないと言えば,必然的に

なんかも僕の担当. とほほ.

そもそも,グループごとに一人担当を出すという仕組みがいかん. 2, 30 人いるグループからもっと人を取れ〜.

ついでに言うと,グループの残りの 2 人が課長,係長(=裁量労働)というのがさらなる落とし穴. というのも,

だから. しくしく.

あ,それは全然オッケーです(^_^).

というか僕の場合も,日記は見ているけれど他のページは全然知らないところが結構あります(^_^;;;

そういえば真鍋さんって今も goo で PPxP の定期検索をしておられるんでしょうか? :-)

1999年4月15日(木)

おめでとうございます\(^_^)/

一応お祝いネタとしては以下のようなものを考えてますが,何がいいでしょうか? やるとしても全部これからですけど(笑).

#自分の作業キューに入っているものを並べただけともいう(^_^;

うちの会社の会長向けにデモをすることになった. というわけで,(さすがに会長相手なので)練習やらデータ整備やらが重くのしかかる(T_T). 販売実習で抜ける穴を埋めてくれる人も割り当ててもらえないし….

果して,無事にゴールデンウィークを迎えられるのだろうか.

今日はさすがにたまらんので死にます.

1999年4月16日(金)

あー,何とか日が変わらんうちに会社を出れた.

やっぱりダメなものですか :-)

GW をメドに作業する予定なのでしばらくお待ちくださいませ.

今日もぼちぼち FreeBSD 環境を整備.

/boot/boot.conf と /etc/rc.conf を設定. rc.conf はデフォルト設定を上書きするところだけ書くのはいいなあ.

しかし Canna 環境は結構 バージョン違いで .canna が共有できないし,辞書の構成も違うしなあ…. あと,フォント環境の違いで Netscape がボロボロなのもちょっといやん.

Linux エミュレーションは設定も簡単でいいですねぇ. ~/bin を分けるのはやめて Linux バイナリで統一しよ(^_^;;

PPP 接続は PPxP を利用. Linux 用設定ファイルのシリアルデバイス名を変えるだけなので楽勝(^_^).

気が付いたら寝てた.

1999年4月17日()

今日も 2:00PM 起き. ぼそぼそとパンをかじるが立ち上がる気力が….

なんか疲れたサラリーマンを地で行ってるなあ.

そろそろ xjman 関連の整理をしなきゃいかんかと思いきや,実は知らないところでちゃんと作業が進んでいたようで(^_^).

ちょっとだけ FreeBSD 環境の整備. fetchmail, procmail, mew をインストール. これでとりあえずメール環境は Linux とお揃いになったので,どっちが立ち上がっていても日常生活には困らなくなった.

ただし mew は UNIX User のおまけ CD に入ってなかったので自分でソースからインストール. パッケージ管理を考えると本当は ports で入れる方がいいんだろうけど,手元に mew-1.93 があったので妥協(^_^;

日本語入力(ていうかバージョン違いの .canna の共有)の問題は Linux=canna, FreeBSD=wnn と使い分けるという消極策で回避(^_^;

自分のジャンク箱より 100MB の SCSI disk を発掘. 繋いでみたけど死んでいる模様.

繋いだ先の Libretto が道連れで凍りついただけだった(T_T).

「あなたのダメ度は、73.86%です」と言われて一瞬げげっと思ったものの,すぐ後になーんだそういうことかとちょっと安心.

ちなみに下限は 9 才と見ました.

1999年4月18日()

今日は雨. 木の下に置いてた車をが木の葉まみれに(T_T)

預金を降ろして買いものして洗濯して掃除もする.

ひと様の設定につっこむのはアレなのですが(^_^;,参考になるかもしれないので不粋な話を書いてみます.

社会状況としてメイドロボの使い捨てが問題になるようなことはきっとないと思います. というか,値段が値段(車2台分という記述があったはず)なので,中古市場は多分ごく初期から形成されてるはずです.

市場システムとしては,

という点から,新品の本体価格のマージンは押さえておいて,むしろメンテナンスや情報提供(サテライトサービス)等のサポートや,中古販売やリース・レンタルなんかが利益の中心となる体制に落ち着く(落ち着いている)んじゃないかと思います.

そのまま本編の話に逸れますけど,ついでに(^_^;

メイドロボの開発についても

みたいなことは現実ではきっとないでしょうねぇ.

開発期間がどれだけ取れるかはちょっと見当がつきませんが(初期構想から生産までで 18〜24ヵ月くらいかなあ),生き馬の目を抜く(本当か?)この業界で,試作機の時点でコンセプトを再検討するだけの時間的余裕はきっとないでしょう.

ハードウェア的な観点から言えば,試作の段階では既に

レベルの話まで織り込んでないといけないし,その話を受けて工場関係の人達も既に動き出しているはずです(こんかれんとえんじにありんぐというやつですね). そんな時期にいきなり商品コンセプトを変えたりしたら…それこそ会社が傾きかねません(^_^;

ソフトウェア的な面でも,運動や表情の制御等のようにハードに直結している部分があることから,「感情機能を外しました」だけじゃすまないでしょうし.

そう言えば,メイドロボはデザイン勝負の面がかなりあると思うんですが,次期モデルの試作機をマスク無しで外に出していいんでしょうか?

かと言って,仮面をかぶったメイドロボが学校に来るのはかなりイヤだけど(^_^;

1999年4月19日(月)

今日もへろへろ. 早くゴールデンウィーク来ないかな….

Biglobe の SMTP サーバがこけてる…. 出したメール 10 数通を後から全部「内部エラ」ーとかで返すのはやめてほしい(T_T).

仕方ないので im の設定を変えてローカルで(一応)動いている sendmail から送ることに.

どうせ 26:15 は起きてるからいいけど,To Heart 今日は放映時間変わった? ビデオ録画だったら危険なとこでした(^_^;;

1999年4月20日(火)

今日も死にかけ.

tun.4 をとりあえず man-jp の予約ページで予約. 翻訳の予約のつもりで手続きをしたらいつの間にか「訳チェック予約」になってたけど,あまり気にしないことに.

ちなみに,下訳自体はとうの昔に済んでるんですけど,フォーマットを合わせてから投稿するのが面倒でそのまま転がしてます(^_^;

JM に初めて参加したときも思いましたけど,man 系のプロジェクトは仕事の手順とか表記方法の統一等の覚えることが多くてとっつきにくい…. プロジェクトで整形/校正部隊を強化しておいて「正確な訳だけ出してください.後は何とかします」的なことができれば,各ページが短いという man pages の特性を生かして contributor の裾野を広げる(一見さんでも何かできる)こともできるんでしょうが,そーいうのってやっぱり無理なんでしょうねぇ.


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TF <tf@denpa.org>
Last modified:Sat, 6 Jul 2002 0:1:5 JST